今年度はPTAの役員を務めることになり、生徒・児童の親御さん達と接する機会も増えたわけで、今まで以上に受験に対する「生の声」を聞くことができるようになりました。
以前よりは認知されるようになってきた中学受験ですが、ほとんどの児童や親御さんにとっては「別世界の話」のようです。
「聞いたことはあるけど、うちには関係ない」という感覚の方が多い気がします。
普通に地元の中学に進学して、普通に手の届く高校に入って、場合によっては大学に進学して・・・
というかんじですね。
まあそれで特に問題はない場合も多いですが、自分の子供には「普通の中学」「普通の高校」に行って欲しくありません。
「受験して入る中学」に行って欲しいと思っています。
日々たくさんの学生と接していると、「普通の中学」には「やる気が無い」か「能力が無い」のどちらかまたは両方の先生が、かなり多いことがわかります。「普通の高校」でもその割合はほとんど変わりません。
やる気が無い先生は、毎年同じ授業を工夫もせずダラダラやります。正直つまらないです。
先生がやる気がなければ、それは当然生徒にも伝わります。
生徒もやる気がなくなり、みんなその科目はわからなくなります。
みんながわからないから、生徒達本人は「みんなこんなものだから大丈夫」と勘違いをします。
受験間際になってはじめて、やばいことを実感して焦るものの、タイムアップ!
というケースは珍しくもなんともありません。
能力が無い先生は、平気で間違ったことを教えます。
能力が無いので、間違っていることに気づいていないようです。
能力が無いのにやる気だけあるとさらに大変です。
その間違ったことを熱心に生徒に教えるものだから、生徒は間違ったことを正しいと勘違いして覚えてしまいます。
先生よりも賢い生徒が間違いを指摘しても大変です。
プライドを傷つけられた能力不足の先生は、教師としての立場を振りかざして自分を正当化することがあります。(「道徳的優位」という根拠のない論理を振りかざす某国とそっくりですね)
生徒の正しい理屈に対して、先生がへりくつをこねて「ぼくのかんがえたすごいりろん」を暗記させようとします。
生徒が大人の対応をすれば、その場は丸く収まるとしても、当然、資格試験や入試では「ぼくのかんがえたすごいりろん」は役立ちません。
そういう先生は、「良い成果は自分のおかげ」「悪い結果は生徒の責任」と考える傾向があるように見えます。
「自分は偉い」「私は教育者だからわかるんですけど…」「先生には敬意を払え」などと恥ずかしげも無く自ら発信し、自分は無条件で正しいかのように振る舞います。(「加害者は被害者が満足するまで謝罪と賠償をし続けなければならない」と言っている某国の特権階級(?)「被害者様」のようですね)
物事の因果関係を理解できないか理解するつもりがないように見えます。
良い先生と接すれば良い影響があるし、そうでない先生に教わったらマイナスの影響があるでしょう。
いわゆる「普通の中学」よりも「受験して入る中学」の方が、良い先生が多いのは確実です。
だからこそ、自分の子供と自分が教える生徒には「受験して入る中学」に行って欲しいと思っています。
今年の受験シーズンもいよいよ本番です。
皆さんがんばっていきましょう!
つづく→「普通の中学」より「受験して入る中学」を勧める理由A
2019年11月15日
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