2022年04月08日

日本史「農耕社会の成立」弥生文化の成立B

日本史「農耕社会の成立」弥生文化の成立B

◆問題

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弥生時代の水田は、一辺数m程度の小区画のものが多いが、灌漑・排水用の水路を備えた本格的なものであり、(@)もすでに始まっていた。耕作には刃先まで木製の鋤や鍬が用いられ、収穫は石包丁を用いて穂首刈りが行われた。脱穀には木臼と竪杵が用いられ、収穫物は(A)倉庫や貯蔵穴におさめられた。木製農具の制作には、はじめは磨製石器が用いられたが、弥生時代後期には(B)が普及し、鉄製の刃先をもつ農具も制作された。この農具の変化とともに、中期・後期には湿田だけでなく乾田の開発も進められた。地域によっては陸稲やさまざまな雑穀の栽培が行われ、狩猟や漁労もさかんで、ブタの飼育も行われた。

集落では、(C)や銅剣・銅矛・銅戈などの青銅製祭器を用いて、豊かな収穫を祈願し、感謝する祭が行われた。(C)は近畿地方、平形銅剣は瀬戸内中部、銅矛・銅戈は(D)を中心にそれぞれ分布する。これらの祭器は、個人の墓に埋められることはほとんどなく、集落の人々の共同の祭の祭器だった。


解答はこのページ下


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日本史用語集 改訂版 A・B共用


@田植え、A高床、B鉄器、C銅鐸、D九州北部

弥生時代の水田は、一辺数m程度の小区画のものが多いが、灌漑・排水用の水路を備えた本格的なものであり、田植えもすでに始まっていた。耕作には刃先まで木製の鋤や鍬が用いられ、収穫は石包丁を用いて穂首刈りが行われた。脱穀には木臼と竪杵が用いられ、収穫物は高床倉庫や貯蔵穴におさめられた。木製農具の制作には、はじめは磨製石器が用いられたが、弥生時代後期には鉄器が普及し、鉄製の刃先をもつ農具も制作された。この農具の変化とともに、中期・後期には湿田だけでなく乾田の開発も進められた。地域によっては陸稲やさまざまな雑穀の栽培が行われ、狩猟や漁労もさかんで、ブタの飼育も行われた。

集落では、銅鐸や銅剣・銅矛・銅戈などの青銅製祭器を用いて、豊かな収穫を祈願し、感謝する祭が行われた。銅鐸は近畿地方、平形銅剣は瀬戸内中部、銅矛・銅戈は九州北部を中心にそれぞれ分布する。これらの祭器は、個人の墓に埋められることはほとんどなく、集落の人々の共同の祭の祭器だった。


前の問題→弥生文化の成立A
次の問題→弥生文化の成立C


原始・古代まとめ


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posted by えま at 15:00| Comment(0) | 日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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