日本史「古墳とヤマト政権」東アジア諸国との交渉
◆問題
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三国時代のあと晋が中国を統一したが、4世紀はじめには匈奴などの諸民族(五胡)の進入を受け南に移り、(@)時代となった。
中国東北部の高句麗は、朝鮮半島北部に領土を広げ313年に(A)を滅ぼした。朝鮮半島南部では、馬韓・弁韓・辰韓という小国の連合が形成されていたが、馬韓から(B)が、辰韓から(C)がおこった。
倭国(ヤマト政権)は、弁韓からの小国連合が続いた(D)諸国と密接な関係を持っていた。4世紀後半に高句麗が南下策を進めると、(B)や(D)とともに倭は高句麗と争った。高句麗の(E)の碑文は、その情勢を知るための貴重な史料である。高句麗との戦いなどから、倭人たちも騎馬技術を学ぶようになり、5世紀になると日本列島の古墳にも馬具が副葬されるようになった。渡来人は、他にも多くの技術や文化を日本に伝えた。
朝鮮半島南部の外交・軍事上の立場を有利にするため、5世紀初めから約1世紀の間、倭の五王が中国の南朝に朝貢したと(F)に記されている。
解答はこのページ下
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日本史用語集 改訂版 A・B共用
@南北朝、A楽浪郡、B百済、C新羅、D伽耶、E好太王碑、F『宋書』倭国伝
三国時代のあと晋が中国を統一したが、4世紀はじめには匈奴などの諸民族(五胡)の進入を受け南に移り、南北朝時代となった。
中国東北部の高句麗は、朝鮮半島北部に領土を広げ313年に楽浪郡を滅ぼした。朝鮮半島南部では、馬韓・弁韓・辰韓という小国の連合が形成されていたが、馬韓から百済が、辰韓から新羅がおこった。
倭国(ヤマト政権)は、弁韓からの小国連合が続いた伽耶諸国と密接な関係を持っていた。4世紀後半に高句麗が南下策を進めると、百済や伽耶とともに倭は高句麗と争った。高句麗の好太王碑の碑文は、その情勢を知るための貴重な史料である。高句麗との戦いなどから、倭人たちも騎馬技術を学ぶようになり、5世紀になると日本列島の古墳にも馬具が副葬されるようになった。渡来人は、他にも多くの技術や文化を日本に伝えた。
朝鮮半島南部の外交・軍事上の立場を有利にするため、5世紀初めから約1世紀の間、倭の五王が中国の南朝に朝貢したと『宋書』倭国伝に記されている。
前の問題→前期・中期の古墳
次の問題→大陸文化の受容
原始・古代まとめ
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2022年04月19日
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