日本史「古墳とヤマト政権」古墳文化の変化
◆問題
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6世紀の古墳時代後期になると、(@)石室が一般化し、新しい葬送儀礼にともなう多量の土器の副葬が始まった。また、古墳のまわりに並べられる埴輪には、(A)・動物埴輪がさかんに用いられるようになった。
九州北部の古墳には、石人・石馬も立てられ、九州や茨城県・福島県の古墳には彩色や線刻による壁画をもつ装飾古墳がつくられた。
古墳のあり方にも変化がみられる。(B)では依然として大規模な前方後円墳が営まれたが、吉備地方などでは大きな古墳はみられなくなった。
一方、小型の古墳は増加した。山間や小島でも群集墳と呼ばれる小古墳が営まれた。これはヤマト政権の性格や身分制度が変化し、(C)も古墳をつくるようになったためと考えられている。
解答はこのページ下
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日本史用語集 改訂版 A・B共用
@横穴式、A人物埴輪、B近畿地方中央部、C有力な農民
6世紀の古墳時代後期になると、横穴式石室が一般化し、新しい葬送儀礼にともなう多量の土器の副葬が始まった。また、古墳のまわりに並べられる埴輪には、人物埴輪・動物埴輪がさかんに用いられるようになった。
九州北部の古墳には、石人・石馬も立てられ、九州や茨城県・福島県の古墳には彩色や線刻による壁画をもつ装飾古墳がつくられた。
古墳のあり方にも変化がみられる。近畿地方中央部では依然として大規模な前方後円墳が営まれたが、吉備地方などでは大きな古墳はみられなくなった。
一方、小型の古墳は増加した。山間や小島でも群集墳と呼ばれる小古墳が営まれた。これはヤマト政権の性格や身分制度が変化し、有力な農民も古墳をつくるようになったためと考えられている。
前の問題→大陸文化の受容
次の問題→古墳時代の人々の生活@
原始・古代まとめ
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2022年04月21日
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