2022年04月28日

日本史「飛鳥の朝廷」東アジアの動向とヤマト政権の発展A

日本史「飛鳥の朝廷」東アジアの動向とヤマト政権の発展A

◆問題

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大臣蘇我馬子は、587年に大連の(@)を滅ぼし、592年には(A)天皇を暗殺して政治権力を握った。そして、敏達天皇の后だった推古天皇と推古天皇の甥の厩戸王(聖徳太子)らが協力して国家組織の形成を進めた。(B)年には冠位十二階、翌年には十七条憲法が定められ、王権のもとに中央行政機構・地方組織の編成が進められた。
中国との外交も再開された。607年には小野妹子が遣隋使として中国に渡った。このときの隋への国書は中国皇帝に臣属しない形式をとり、煬帝から無礼とされた。

618年に唐がおこると、倭は630年の(C)など遣唐使を派遣した。遣隋使小野妹子に同行した(D)・南淵請安・旻らの留学生・学問僧は、長期の滞在ののち帰国し、中国の制度・思想・文化についての新知識をもたらした。


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日本史用語集 改訂版 A・B共用


@物部守屋、A崇峻、B603、C犬上御田鍬、D高向玄理

大臣蘇我馬子は、587年に大連の物部守屋を滅ぼし、592年には崇峻天皇を暗殺して政治権力を握った。そして、敏達天皇の后だった推古天皇と推古天皇の甥の厩戸王(聖徳太子)らが協力して国家組織の形成を進めた。603年には冠位十二階、604年には十七条憲法が定められ、王権のもとに中央行政機構・地方組織の編成が進められた。
中国との外交も再開された。607年には小野妹子が遣隋使として中国に渡った。このときの隋への国書は中国皇帝に臣属しない形式をとり、煬帝から無礼とされた。

618年に唐がおこると、倭は630年の犬上御田鍬など遣唐使を派遣した。遣隋使小野妹子に同行した高向玄理・南淵請安・旻らの留学生・学問僧は、長期の滞在ののち帰国し、中国の制度・思想・文化についての新知識をもたらした。


前の問題→東アジアの動向とヤマト政権の発展@
次の問題→飛鳥の朝廷と文化


原始・古代まとめ


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posted by えま at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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