2022年05月19日

日本史「平城京の時代」地方官衙と「辺境」@

日本史「平城京の時代」地方官衙と「辺境」@

◆問題

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中央と地方を結ぶ交通制度としては、畿内を中心に東海道など七道の諸国府への官道(駅路)が整備され、約16kmごとに駅家を設ける(@)が敷かれた。地方では、駅路と離れて郡家などを結ぶ伝路が整備された。

(A)の統治の拠点である国府(国衙)には、政務・儀礼の場の国庁(政庁),実務を行う役所群、国司の居館、倉庫群などが設けられ、のちに(B)も建立された。郡司の統治の拠点である郡家(郡衙)にも同様の施設が設けられた。(A)は都から派遣され任期があるのに対して、郡司は(C)が終身務めたため、実際の民衆支配は郡司により展開されたと思われる。郡家の遺跡からも木簡・墨書土器などが出土し、律令制の文書主義にもとづき漢字文化が地方にも展開した様子が知られる。


解答はこのページ下


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日本史用語集 改訂版 A・B共用


@駅制、A国司、B国分寺、C地方豪族

中央と地方を結ぶ交通制度としては、畿内を中心に東海道など七道の諸国府への官道(駅路)が整備され、約16kmごとに駅家を設ける駅制が敷かれた。地方では、駅路と離れて郡家などを結ぶ伝路が整備された。

国司の統治の拠点である国府(国衙)には、政務・儀礼の場の国庁(政庁),実務を行う役所群、国司の居館、倉庫群などが設けられ、のちに国分寺も建立された。郡司の統治の拠点である郡家(郡衙)にも同様の施設が設けられた。国司は都から派遣され任期があるのに対して、郡司は地方豪族が終身務めたため、実際の民衆支配は郡司により展開されたと思われる。郡家の遺跡からも木簡・墨書土器などが出土し、律令制の文書主義にもとづき漢字文化が地方にも展開した様子が知られる。


前の問題→奈良の都平城京@
次の問題→地方官衙と「辺境」A


原始・古代まとめ


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posted by えま at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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