2022年05月23日

日本史「平城京の時代」藤原氏の進出と政界の動揺A

日本史「平城京の時代」藤原氏の進出と政界の動揺A

◆問題

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720年に藤原不比等が死去すると、翌年(@)が右大臣となり政権を握った。724年には(@)は左大臣となった。藤原氏の地位が危うくなり、不比等の子の(A)・房前・宇合・麻呂の4兄弟は、729年に(@)を自害させ((@)の変)、(B)を皇后に立てることに成功した。734年に藤原(A)は右大臣となったが、737年に流行した天然痘によって4兄弟は相次いで病死し、藤原氏の勢力は後退した。
738年に皇族出身の(C)が右大臣となり政権を握り、唐から帰国した(D)や玄ムが聖武天皇に重用された。

740年には、(E)が、(D)や玄ムらの排除を求めて九州で大規模な反乱((E)の乱)をおこしたが鎮圧された。聖武天皇はこの後数年の間に、恭仁京・難波宮・紫香楽宮などに遷都した。


解答はこのページ下


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日本史用語集 改訂版 A・B共用


@長屋王、A武知麻呂、B光明子、C橘諸兄、D吉備真備、E藤原広嗣

720年に藤原不比等が死去すると、翌年長屋王が右大臣となり政権を握った。724年には長屋王は左大臣となった。藤原氏の地位が危うくなり、不比等の子の武知麻呂・房前・宇合・麻呂の4兄弟は、729年に長屋王を自害させ(長屋王の変)、光明子を皇后に立てることに成功した。734年に藤原武知麻呂は右大臣となったが、737年に流行した天然痘によって4兄弟は相次いで病死し、藤原氏の勢力は後退した。
738年に皇族出身の橘諸兄が右大臣となり政権を握り、唐から帰国した吉備真備や玄ムが聖武天皇に重用された。

740年には、藤原広嗣が、吉備真備や玄ムらの排除を求めて九州で大規模な反乱(藤原広嗣の乱)をおこしたが鎮圧された。聖武天皇はこの後数年の間に、恭仁京・難波宮・紫香楽宮などに遷都した。


前の問題→藤原氏の進出と政界の動揺@
次の問題→藤原氏の進出と政界の動揺B


原始・古代まとめ


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posted by えま at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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