日本史「恐慌の時代」社会主義運動の高まりと積極外交への転換B
◆問題
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田中内閣は1927年に東方会議を開き、満州における日本権益を実力で守る方針を決定した。満州軍閥の張作霖を支援し、国民革命軍に対抗するため、3次にわたる山東出兵を実施した。第2次出兵の際には、日本軍は国民革命軍と武力衝突をおこし、一時、済南城を占領した(済南事件)。
しかし、張作霖軍が敗北すると、関東軍の一部に、張作霖を排除して(@)するという考えが台頭してきた。1928年6月関東軍は独断で、満州へ帰還途上の張作霖を奉天郊外で列車ごと爆破して殺害した(A)。当時、真相は公表されず、満州某重大事件と呼ばれた。元老の西園寺公望の助言もあり、田中首相は真相の公表と関係者の処分を決意し、その旨を天皇に上奏したが、閣僚や陸軍から反対されたため、首謀者の河本大作大佐を停職にしただけで一件落着とした。
この方針転換をめぐって天皇の不興を買い、田中内閣は1929年に(B)した。
解答はこのページ下
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日本史用語集 改訂版 A・B共用
◆解答
@満州を直接支配、A張作霖爆殺事件、B総辞職
田中内閣は1927年に東方会議を開き、満州における日本権益を実力で守る方針を決定した。満州軍閥の張作霖を支援し、国民革命軍に対抗するため、3次にわたる山東出兵を実施した。第2次出兵の際には、日本軍は国民革命軍と武力衝突をおこし、一時、済南城を占領した(済南事件)。
しかし、張作霖軍が敗北すると、関東軍の一部に、張作霖を排除して満州を直接支配するという考えが台頭してきた。1928年6月関東軍は独断で、満州へ帰還途上の張作霖を奉天郊外で列車ごと爆破して殺害した(張作霖爆殺事件)。当時、真相は公表されず、満州某重大事件と呼ばれた。元老の西園寺公望の助言もあり、田中首相は真相の公表と関係者の処分を決意し、その旨を天皇に上奏したが、閣僚や陸軍から反対されたため、首謀者の河本大作大佐を停職にしただけで一件落着とした。
この方針転換をめぐって天皇の不興を買い、田中内閣は1929年に総辞職した。
前の問題→社会主義運動の高まりと積極外交への転換A
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2023年12月26日
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