2023年12月27日

日本史「恐慌の時代」社会主義運動の高まりと積極外交への転換C

日本史「恐慌の時代」社会主義運動の高まりと積極外交への転換C

◆問題

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1928年6月関東軍は独断で、満州へ帰還途上の張作霖を奉天郊外で列車ごと爆破して殺害した(張作霖爆殺事件)。当時、真相は公表されず、満州某重大事件と呼ばれた。元老の西園寺公望の助言もあり、田中首相は真相の公表と関係者の処分を決意し、その旨を天皇に上奏したが、閣僚や陸軍から反対されたため、首謀者の河本大作大佐を停職にしただけで一件落着とした。
この方針転換をめぐって天皇の不興を買い、田中内閣は1929年に総辞職した。

張作霖の子で後継者の(@)は、関東軍のもくろみとは逆に、1928年満州を国民政府支配下の土地と認め、中国全土がほぼ統一された。中国では不平等条約撤廃、国権回収を要求する民族運動が高まり、1931年には国民政府も(A)を一方的に宣言する外交方針をとるようになった。


解答はこのページ下


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◆解答

@張学良、A不平等条約の無効

1928年6月関東軍は独断で、満州へ帰還途上の張作霖を奉天郊外で列車ごと爆破して殺害した(張作霖爆殺事件)。当時、真相は公表されず、満州某重大事件と呼ばれた。元老の西園寺公望の助言もあり、田中首相は真相の公表と関係者の処分を決意し、その旨を天皇に上奏したが、閣僚や陸軍から反対されたため、首謀者の河本大作大佐を停職にしただけで一件落着とした。
この方針転換をめぐって天皇の不興を買い、田中内閣は1929年に総辞職した。

張作霖の子で後継者の張学良は、関東軍のもくろみとは逆に、1928年満州を国民政府支配下の土地と認め、中国全土がほぼ統一された。中国では不平等条約撤廃、国権回収を要求する民族運動が高まり、1931年には国民政府も不平等条約の無効を一方的に宣言する外交方針をとるようになった。


前の問題→社会主義運動の高まりと積極外交への転換B
次の問題→金解禁と世界恐慌@


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posted by えま at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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